府中緊急派遣村

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震災支援行動先発隊レポート2(2011年4月13日)

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派遣村震災支援行動先発隊から本日の活動報告が届きました。今日は、福島県南相馬市でボランティア活動に参加しました。以下は、届いたレポートです。

小川町体育館駐車場の車の中で仮眠中午前154分、突然のサイレンで目を覚めさせられる。遠くに何台も救急車か消防車のサイレンが消えて行き、外は再び静寂な闇が広がる。ラジオをつけるが、ニュースはない。再び寝る。あとで市内原町で火事があったと知る。
 
7時起床。快晴。寒い。東京の2月くらいの陽気。ウグイスが鳴くなか、お湯を沸かしてモーニングコーヒー、モーニングティー。 
 
朝8時にボランティア登録。続々とボランティアの若者が災害ボランティアセンターのある原町区福祉会館に集まってくる。
支援物資と派遣村の寄せ書きを社会福祉協議会の支援物資担当者に手渡す。野菜、みかん、衛生用品、女性用シャツなどを手渡す。ありがとうございます、と丁寧に頭を下げられました。派遣村寄せ書きの桜の写真に「東京は桜が満開ですか」と感慨深げでした。広い視聴覚室には全国から送られてきた支
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援物資が積み上がっている。仕分けが追いつかない様子。
 
午前830分ちょうど、ボランティアのミーティング始まる。
会議室にびっしり100人ほど。地元の年配者を交えて若者が圧倒的に多い。昨晩会ったボランティアの男性は、今日は昨日より20人多い、と。冒頭、福島市に桜が開花したと報告あり、拍手が起きる。本日のボランティアのしごと発表。在宅支援チーム、避難所のサポート、思い出返し隊、がれき片付け隊、被災証明書発行手伝い、開明私塾手伝い、託児所、復旧資材、ボランティアセンター受付などのしごとが紹介され、それぞれ希
望者を募る。
ボランティアの統括の30代男性「どんなしごとでもやりがいがあり、面白いです。楽しんで笑顔でボランティアをやろう。南相馬の人たちは、原発問題以外は普通に生活しているが、疎外されていると感じている市民が多い。ぜひ、夜も町の店に行ってください」
質疑の中でボランティア参加者から「食料はいっぱいあるのになぜ配らないのか?」との質問にリーダーの統括氏「全部配るとここに来ればもらえると被災者に甘えが出てしまう。今はご覧のように食料や物資は足りている。もう自立の段階に来ている。社会福祉協議会のやり方にボランティアは従うべき」ときっ
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ぱり。
 
ミーティングのあと、各班に分かれる。我々はがれき隊と塾の手伝いボランティアに分かれて参加した。

泥片付け隊は、総勢20人ほど。圧倒的に20代の若者が多い。それぞれの車で泥撤去要望のお宅に向かう。南相馬市鹿島地区。津波で船が田んぼまで流されて来ているが、家屋の破壊流出は免れた地区。男性は浸水した家の中から家財道具を出して洗っていた。泥片付け隊ボランティアのしごとは、家の横の畑にうず高く積み上げられた泥の山を10メートルほどスコップですくって移動させるしごと。結構きつい重労働。粉塵舞う中、ゴーグル、マスク、タオルの重装備でしごとを始めるが、汗がしたたり落ちてとてもゴーグル、マスクはしていられない。気温は20度近く。昨晩の寒さがウソのよう。慣れないしごとをボランティアの若者たちは黙々と手際よくさばく。どうしたら早く確実に片付けられるか若者たちからしごとの工夫が次々と提案される。年配者も若者たちに応えながらテキパキと泥を運ぶ。文字通りボランティア。誰かに指示されて動くのではなく誰もが一生懸命にスコップをふるい、一輪車を押す。私は、誰も使わない大バールで泥に深く埋まったがれき、木材などを掘り起こしていく。
偉そうに現場を仕切る奴は一人もいない。誰にも支配されない労働。久しぶりに気持ちのいい汗をかく。人海戦術で午前中できれいに泥の山が平地に。
実は、持ち主のプレハブの物置が100メートルほど流されて田んぼに転がっている。この物置を元の位置まで戻すための作業。
いっせーのせっ!若者の掛け声でプレハブ物置は軽々と持ち上がった。まるでみこしのように100メートルほどをゆっくり約10人で力を合わせて元位置に戻す。やっと戻ってきた空っぽの物置にも持ち主はにっこりとうれしそうでした。

泥片付け作業を見ていた近所の女性が声をかけてきた。「うちにはボランティアさんが全然来てくれない。」
 
泥片付け隊のリーダー氏は、社協に申し込んでください、と一旦断る。ボランティアのリーダーもボランティアゆえ社協を通さずに引き受けてボランティアが怪我でもされては困る、との当然の対応。しかし、若者たちから自分がやりますと手が上がる。間に入って野田が自分たち2人が責任もってやります、と泥片付け隊リーダー氏を説き伏せて女性宅の泥片付けをやることに。
今までずっと一人きりで泥片付け作業を毎日やってきた女性はうれしそうに自らもスコップを握りしめる。
家の裏に堆積した泥を撤去片付けするしごと。昼休みをまたいで午後1時半に完了。
日々の被害の復旧に追われる被災者は、社協を通じてボランティアを依頼できる仕組みを知らないのだ。周りを見ても年配の女性が一人で庭の泥片付けをしている姿がある。
 
「田んぼは潮をかぶって全部ダメになった。しかも東電のおかげで福島県は何を作っても売れなくなった。東電の会長を私は絶対許せない。だけども私らはここから逃げない。」と私に強く語りました。
しかし、放射能の不安も同時に吐露してました。
 
泥片付け作業が終了し、スコップなどの道具を鹿島地区社会福祉協議会に返しに行く。冷たい水やりんごをふるまわれながら、いろいろな話に。災害ボランティアセンターでは物資は足りていると聞いたが、と尋ねると、「そんなことはない。行政の縦割りから物資がこちらまでなかなか回って来ない。」と驚くべき事実を声をひそめて話してくれた。
私たちは、衛生用品(消毒液、ウェットティッシュなど)、軍手、子ども用シャツなどを手渡す。本当にありがたいと何度も頭を下げられました。ボランティアの責任者は、避難所で必要としているものが変化していると強調してました。調味料では、味噌、醤油はあるが、ケチャップ、ドレッシングが足りない。シャンプーはあるがリンスがない、など。
 
やはり現場に来ることの大切さを感じました。
 
帰路、南相馬市内の海岸付近の鳥先に行く。船が転覆している生の衝撃的映像が飛び込んで来る。
自衛隊が海岸付近で行方不明者の捜索をしている。
 
南相馬市にはガソリンも食料もある。しかし市内にほとんど人がいない。自転車で道を行く人影は見なかった。