府中緊急派遣村

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震災支援行動先発隊レポート3(2011年4月14日)

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13日は仙台市内のビジネスホテルがいっぱいでスーパー銭湯の駐車場で車中泊。ベガスというスーパー銭湯は大混雑。多くは被災者とボランティア、復旧関連作業員か?
まるで、金曜日夜の新宿駅のトイレのように、いやパチンコ屋の開店前かそれ以上の混雑、大渋滞。タオルを持った裸の男たちが洗い場が空くのを所在なげに待つ行列が続く。
どうも仙台はすでに「復興」モードのよう。市街は車と人がとにかく多い。 
 
4日早朝、一路石巻に向かう。
石巻に向かう道は自衛隊車両、災害復旧関連車両が続く大渋滞。ところどころ破損した有料道路の左右に漂流物がそのままに放置されているのが見える。
9時、ようやく災害ボランティアセンターがある石巻専修大学に到着。仙台から2時間。
大学の広い駐車場はすでにいっぱい。多くのテントが張られ、泊まりこみのボランティアが多くいる様子。ボランティアは数百人来ているのではないか。
すぐにボランティアに登録。
「がんばっぺ!絆・石巻」のシールを渡され、何の説明も意思
統一もないままに2人の人と組みになり総勢6人で市内東中里のお宅の家財道具の運び出し作業に車で向かう。
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東中里地区に近づくにつれて街全体が砂塵が舞い、埃っぽい。道々には家財道具がうず高く積み上げられている。
 
渋滞を縫って東中里地区のお宅に到着。1日かけて津波により浸水した家財道具を家から運び出し、50メートル離れた道路に積み重ねていく。車道は一台がギリギリ通れる狭い状態。
 
まずは、使える食器棚やタンスをよける。背の高い家財道具の上の部分は津波の難をまぬがれた。
土嚢袋に潮水に浸かった家財道具を一つひとつ詰め込み運ぶ。
リーダーは岡山から駆けつけた50歳の男性。月曜日からボランティアに来ているとのこと。黙々とひたすら運ぶ。文句も言わないし、偉そうに命令もしない。頭が下がるその姿勢にわが4人の中年部隊もヨレヨレになりながらも重い家財道具を運ぶ。もう一人は横浜から来た大学院生。哲学専攻のハンサムボーイ。若いので馬力がある。時々、リーダーから無理するな、と静かに制される。潮水を吸ったため、とにかく重い。
布団や絨毯がこんなに重いと初めて知る。
家族のアルバム、震災の日まで寝ていた布団、ソーラー電卓、爪切り、
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子どもの絵本、ビーズのCD、タンスにきちんとたたまれた服、クマのぬいぐるみ、おじいちゃんの使い込まれた釣り道具、古いカメラ、ヘアブラシ、そうした長年家族の思いと歴史が積み重ねられてきた一つひとつの大切なものがすべて津波に襲われ潮に浸かり泥だらけになってしまった。居間も寝室も台所もすべてぐちゃぐちゃにひっくり返され荒らされている。2メートル近くの津波が木造の一階を襲い損傷も激しい。畳はめくれ、床は抜け、壁が落ちている。こちらのお宅の50代の女性は、もうここには住めないとようやく転居を決意して、家屋の解体のために家財道具の運び出しをボランティアに依頼したとのこと。
ボランティアは、感傷に浸っている余裕はない。今日中にしごとを終わらせなければならない。ひたすら運ぶ。
ようやく昼食休憩。みんな汗びっしょり。
おにぎり、パンなどの差し入れがありがたい。
わが部隊は現場でレトルトカレーを食べることに。ところが、いつまでたってもお湯が沸騰してこない。
やり方が悪い、そうじゃないとわが部隊のドタバタを寡黙なリーダー氏も笑って見ている。ようやく、80度くらいの「適温」で食べるが、うまい!一緒に食べた哲学青年も久しぶりに米を食べたとうれしそう。飯を食べながら、お互い自己紹介してしばし語り合う。 
 
午後からの作業開始。少しバテぎみ。
長年使ってきたタンスや思い出深い火鉢を運び出すたびに、おばあちゃん、おじいちゃんが、あっ、と小さなため息を洩らす。ご家族の辛さがひしひしと伝わってくる。50代の娘さんは、これはいらない、これは使うときっぱりと言い切り、とにかく新居に持って行こうとするおばあちゃんを叱る。
新しい生活のためには、もう棄てるしかないとの覚悟が伝わってくる。
被災地の人々は強い。特に女性はたくましい。生きるためには辛くても余分なものは捨てなければならない。
 
「頑張れ東北」のスローガンが腹立たしい。もう充分この人たちは頑張っている。頑張りすぎているくらいだ。
 
午後4時、ようやく片付け作業終了。居間、寝室、台所はがらんと何もなくなった。しかし、そこはもう家族は住めない廃墟。無口な東北人のおじいちゃんは、きれいになったな、と笑顔でポツリ。
 
最後にご家族3人から深々と頭を下げられる。「3人で1年かけて片付けるつもりでした。1日でやってくれたので助かりました。皆さんも頑張ってください。」
ご家族の事情は聞けないが、住み慣れた家を離れなければならないおじいちゃん、おば
あちゃんは寂しそうだった。
 
1日中、水で服を洗っていた隣の元気なおじさんから甘夏の差し入れをもらう。
「みんな頑張ってくれ!また来てくれよ」
われわれボランティアが最後に激励された。
 
うず高く積み上げられたがれきの前で記念撮影。これが俺たちの今日のしごと。がれきだが、被災者の思いの詰まった大切な物たち。
リーダー高倉健さん、哲学青年とがっちり握手して石巻専修大学に帰る。スコップなどの道具を返却。
 
災害ボランティアセンター本部は、多くのピースボートのユニフォームを着た若
者たちが動いている。
 
南相馬市では気になって仕方がなかったこの手の「仕切り」は、もうどうでもいいと感じる4
だった。
とにかく、人手がいる。また来なければならないとの思いを強くする。 
  
夜、仙台市内の安宿を見つけ泊まる。3日ぶりの布団の上でぐっすり就寝。