府中緊急派遣村

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震災支援行動先発隊レポート4(2011年4月15日)

先発隊から、15日のレポートが届きました。15日は、仙台で朝鮮学校と夜回りグループなどを訪ねました。以下は送られてきたレポートです。

駐車場は、土木関係の他県ナンバーの車でいっぱい。おそらく、震災復旧作業のために長期滞在すると思われる。旅館も頑張っている。朝、起きて気がつくが、寝ていた床が傾いている。かなりの傾斜。夜は気がつかなかったが、マンションの下のコンクリート基礎が波打ってめくれ上がっている。道路も至る所に陥没があり、震災の爪痕を感じる。 
イメージ 1 本日は、仙台市宮城野区を中心とした活動。まず、宮城野区八木山にある東北朝鮮初中級学校を訪問。仙台市街から遠く離れた山の上に広いグラウンドと校舎がある朝鮮学校。支援物資の画用紙、クレヨンなどの文房具、2万円のカンパ、寄せ書きをユン校長先生に渡す。
 ユン校長先生が、多忙の中、震災で激しく損傷して使えなくなった校舎を案内してくれる。
築41年になる校舎は、教室はめちゃくちゃ、梁は落ち、あとから増設した校舎と裂け目ができ、傾いている。3階の教室には震災が起きた2時46分で止まった時計が落ちていた。至る所で壁が落ち、窓ガラスが割れている。傾斜がついた廊下を歩いていると気持ち悪くなってしまう。1階の職員室は壁が倒れて激しく損傷している。幸いに生徒や教員に一人もけが人はいなかったが、校舎は使用禁止で子どもたちは立ち入り禁止に。4月7日の余震でさらに校舎が傾き被害がひどくなったとのこと。現在、元々寄宿舎として使っていた場所を教室にしている。グラウンドを案内されるが、地割れが起きて100メートルほど裂け目ができている。大地が激しく揺れたことが分かる。 ユン校長先生が、今もっとも気をつけているのが、相次ぐ余震の中で子どもたちのストレスだと言う。子どもたちの心のケアに心をくだいている様子が伝わる。 
ユン校長先生が今後のことを話してくれた。4月12日の入学式のあとに教員、保護者やOBたちと復旧委員会を立ち上げた。 何とか校舎を再建したい。チマチョゴリ友の会をはじめ全国から多くの支援をもらい感謝している。韓国でも支援の輪が広がっている。この震災を逆にチャンスにしていきたい。「大地が揺れても笑っていこう」とユン校長先生は力強く笑った。イメージ 2 昼食休憩時間。ユン校長先生が、子どもたちにあいさつして一緒に昼食を食べませんか、と誘ってくれる。ためらいはあったが、ありがたくお受けすることに。広い食堂に27人の生徒と先生が食事している。メニューは、春巻き、キャベツの千切り、惣菜、ご飯とみかん。ずいぶん質素な給食。あいさつは、三木さんが、「南北コリアとかながわのともだち展」の子どもの画集の説明、野田から府中派遣村の活動と画用紙などの文房具カンパの説明をした。朝鮮学校の生徒たちの真剣で真っ直ぐな視線を感じる。代表の子どもたちに手渡すときに、思わずぐっと来てしまう。校庭では、バスケットボールをやっている中級の生徒たちの明るい声が響いている。ユン校長先生にお礼して、今後の学校再建への支援を約束して別れる。
 続いて、仙台市内で野宿者への支援活動を行っている「仙台夜まわりグループ」に支援物資の米40キロとカンパ3万3千円を届ける。派遣村の多くの生活保護当事者も協力してくれた大切なカンパを託す。夜まわりグループは、震災以降、若林区の避難所で炊き出し活動をやってきた。拠点の事務所は被災して宮城野区の仮事務所に移転した。支援物資は、事務所内に積み重ねられているが、まだ仕分けまでいかない様子。
府中派遣村のニュース、被災地支援活動のビラを手渡し、夜まわりグループのニュースをもらう。 次に、同じく宮城野区の避難所として集約された宮城野体育館を訪れる。4月から区内の各小学校、中学校の避難所がここ宮城野体育館に集約された。災害ボランティアセンターが置かれ、仙台市ボランティアセンターのユニフォームを着たボランティアの若者たちが忙しく出入りする。活気がある。イメージ 3 災害ボランティアセンター本部に支援物資の提供を申し出る。少しだけなら、受け入れる、とのことなので、衛生関係の物資(タオル、アルコール消毒液、ウエットティッシュ、女性用シャツなど)2箱を責任者に手渡す。現在、避難所には300人の被災者がいる。ボランティアは250人ほど来ているとのこと。ゴム長で泥だらけになって若者たちがボランティアから帰って来る。まだまだ、やるべきことがたくさんあることを知る。帰路、海岸沿いの若林区の笹屋敷を通り、荒浜地区に立ち寄る。一面、息を飲む惨状。家が跡形もない。家も車も激しく潰れ、押し流されている。何もなくなってしまった。人口密集地若林区沿岸部の津波に激しく破壊され炎上した爪痕に声が出ない。ただただ、一瞬で街が消えてしまった惨状に圧倒されてしまった。現在、重機が入り、がれきを集積し、ダンプで運び出している。膨大ながれきの山。そして、砂塵が激しく舞う。道路一本を隔て海に近づいた途端に地獄絵がずっと続く。ところどころに、がれきの中を探しものをしている人たちがいる。






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