府中緊急派遣村

突然の解雇、退職強要、名ばかり管理職、サービス残業、生活保護申請、生活相談など、お気軽にご相談ください。住所、連絡先等はhttps://fuchuhakenmura.hatenablog.com/entry/10931955

福島南相馬支援のつどい報告

福島南相馬支援のパネル展と支援の夕べを開催しました。

海と阿武隈山系に囲まれた南相馬市。山海の幸に恵まれ冬も晴れ間の多い豊かな自然は、人びとの温かく大らかな心もはぐくんできました。地震津波原発さえ無ければ。鹿島区、原町区、小高区の3つの内、原発に近い小高区は未だに昼間の立ちよりのみ許される避難地域です。住民が自分の家に泊まると10万円の罰金が科せられます。常磐道原発で寸断されているため、南相馬市に入るには仙台から海沿いの6号線を走るか、阿武隈山系を横断しなければなりません。
交通と原発、この2つの壁がこの地に来るボランティアを少なくしています。それが、小さく非力な私たちがこの地に通う大きな理由です。

東京で、福島にそっと寄り添い、長く思い続け、行動にあらわすとのマッサージ支援との協同ボランティアはほぼ隔月で続いています。現地支援の実質を、いつでも、誰もが東京で実現する活動として府中駅頭でのカンパ活動やイベント会場でのマッサージワンコイン支援を続けてきました。今回はそのすべてを集約した内容で午後からパネル展示、夜は支援の夕べ。府中市後援を取り広報に載り、朝日マリオン、東京新聞に紹介されましたが、展示来場者は少なく、夕べも市民参加は20人足らずでした。
しかし、福島からお招きした鹿島区仮設住宅担当の濱名さんのお話に涙をためている方も多く、海辺から4キロの家に波音が届く、途中はすべて流されさえぎるものがないから。原発が爆発して避難し3週間で仕事に戻った、見えない放射能に防空頭巾で対処した、仮設の人びとの苦悩はいつ出れるという先が見えないことなど切実な話しに会場は静まり返りました。岡林さんの馬頭琴とホーミーも、会場を優しく包み、うっとりしながら、村の仲間が用意したつまみとビールが喜ばれました。
福島から避難している人。実家が南相馬で今も仮設住宅にご両親が住む方は、東京に居てもどかしさを感じていた、自分にできること一緒にしたいと。新聞見た方は、鹿島にいた親戚と震災後に妻は流されたが自分は避難したとの連絡後に音信不通になった。手がかりあればと参加。偶然にも濱名さんの旧知の方だった。携帯、ネットや役所のつながりが密接化している現代に、私たちのささやかな夕べが尋ね人現るになるとは感慨無量の出会いでした。

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