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学習・講演会「貧困と依存症~その背景と回復を考える~」②

学習・講演会
「貧困と依存症~その背景と回復を考える~」

(続き/①はこちら


PTSDは、ベトナム戦争の帰還兵が多数、薬物やアルコール依存症になったことから発見された。それまでの20パーセント増になったという統計がある。
戦争体験のフラッシュバックが起きる、過覚醒。昂奮状態で感情がコントロールできない。
戦争の他にPTSDが発見された場所として日本では、阪神淡路大震災がある。震災後、アルコールや薬物依存症が増えた。
今回の東日本大震災では、阪神淡路以上にこれからたくさん出現するのではないかと懸念されている。

ベトナムからの帰還兵が、PTSDで妻に暴力を振るう。いわゆるDV。トラウマを抱えた妻は、子どもにストレスをぶつける。すなわち児童虐待。子どももまたPTSDになる。
また、性虐待の被害者がPTSDになりやすいことは知られているが、性産業のワーカーがPTSDになることが多いということはあまり知られていない。ボーナス時期になると、1日30人もの客が並ぶ。同じことは、ベトナム戦争で兵隊たちの輸送基地となった沖縄で起きた。生活のために性産業で働かざるを得なかった女性たちが、米軍の給料日には1日30人もの客を相手した。多くがPTSDになった。
このほかに、PTSDが発見されるのは、学校でのいじめ。会社でのセクハラ、パワハラ。共通するのは、依存症の増加。

依存症になりやすさについては、遺伝子的な要因もあるかもしれない。Tさんの場合もそうだった。
しかし、個人の資質だけでは語れない。社会的な暴力によってトラウマを抱える。
日本人全体のアルコール依存症率は2パーセント程度だが、ホームレスのアルコール依存症率は47パーセントという統計がある。しかし、これは自立支援センターに入所した人たちの統計なので、路上にいる人たちはもっと高いはずだと、もやいの稲葉さんは言ったという。
依存症だから、路上生活をするようになったと思われているが、逆もある。路上はとても危険な場所であり、将来への不安もある。その不安解消の自己治療としてアルコール依存症になる人もいる。

回復・問題解決のための3つのステップとして、
①身体的、物理的な「安全性」の確保。
本人だけでなく、依存症は周囲の人も危険性のなかにおかれる。支援することが必要。

②精神的な安全性
アルコールは偽の治療方法。心の傷をいやすためには、安全に話ができること。話をすることが本質的な回復の道。自助グループが有効。
治療施設、居場所、治療共同体などは、アメリカで発達してきた。
痛みや悲しみについて話ができる安全な場所で、自分自身を表現することが必要。

③生存者(サバイバー)使命の行使
体験者として、暴力・虐待の再生産を断ち切る運動にかかわることは、本人の回復にも有効。
依存症になったのは自分のせいではない。DV被害、虐待、いじめは本人のせいではない。自己責任論では解決できない。
自助グループ立ち上げ、ガス抜きやガスがたまらない仕組みをつくることもよい。
そうした活動をしている人の依存症再燃率は低い、アディクションの治療・回復にも役立つ。
このことは、自信も依存症患者であったジュディス・ハーマンの著書「回復から社会変革へ」にも書かれている。
Tさん自身、障がい者の権利擁護の活動をするようになってから、1回も女性に暴力を振るっていないという。

援助者への注意として、依存症は他者を巻き込む。援助する人は巻き込まれやすいので注意が必要。
なお、アルコール依存に対して、酒類を隠すなど、依存を止めようとする行為は逆効果。
周りが問題を肩代わりすることはできない。ボーダー。他人と自分の境界線が弱い人は注意。
周囲ができることは、情報の提供と見守ること。
なお、回復するためには、仲間が必要。

まとめとして。イメージ 1
依存症はコミュニティの病。周囲のひとも一緒になって責任をとらなければならない問題。
統計数字があるわけではないが、経験的に、依存症と貧困とは関連があるように思う。
依存症になるのは、本人の責任ではないが、回復は本人の問題。


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過去にPTSDやトラウマ、アディクションの話を聞いた。
そんななかでも、今回、Tさんの話を聞いて、心にストンと落ちたものがあった。
依存症は、本人にとっては、PTSDやトラウマなどの心の傷の治療方法であったということ。ただし、間違った治療方法。
本人にとっては自分が知る唯一の治療、回復方法なので、周囲がやめるように説得しても、痛みがある限り、やめようという気にはなかなかならない。

アルコール、ギャンブル、暴力。同じことを経験しても、依存症になるひとと、ならないひとがいる。
その鍵が、「心の痛み」だった。
そして、暴力もまたアディクション、依存症のひとつであるということ。

いじめにも、相手の気持ちが分からず、知らず知らずのうちに傷つけてしまい、相手の気持ちを知ったり、誰かに諭されたり叱られたりして反省して止めるものもいれば、どんなにきつく叱られ、罰を受けても、繰り返すものもいる。
いじめずにいられない、同じことを何度も繰り返すのは、依存症だからではないか、と思い至った。
海外のデータには、いじめっこを追跡調査した結果、60%が、法廷で有罪判決を受けるような犯罪犯していたという調査結果や、いじめっこは大人になっても社会適応できない割合が高かったというものがある。
いじめの加害者はいじめだけでなく、クロスアディクションとして、他にも様々な依存症、問題を抱えていくのではないか。

暴力の連鎖について。戦争での心の傷と、その間違った治療方法としてのアルコール依存症。ひとつの症状としての家庭内暴力(DV)。その親に育てられた子どもはアダルトチルドレンと呼ばれ、様々な生きづらさを抱える。生きづらさを抱える子どもが、今度は学校で友だちをいじめる。犯罪をおかす。
児童虐待も、それまでは子どもに暴力を振るっていなかった母親が、再婚して、自分が新しい夫から暴力を受けるようになると、夫と一緒に自分の子どもに対して暴力を振るうようになることがある。
いやいや夫に従ったということもあるが、調べてみると、実は母親自身も積極的に暴力を加えていたことがわかったりする。
これも、自分が暴力を受けて、怖い、痛い、辛いと感じたこと、怒りを癒す方法として、暴力により発散する方法を身に着けた結果ではないか。母親の生きづらさをまず解決しない限り、児童虐待もまた解決しない。

いじめが原因で、出席停止になったり、退学処分になっても、懲りることなくまだ繰り返す子どもがいる。相手が死んでさえ、いじめをやめられない子どもがいる。
彼らに必要なのは罰ではなく、まずは自分の行動の原因となっているものを自覚すること、そしてその苦しさ、悲しみを安心して表現できる場があることなのだと改めて思う。
このようないじめの場合、子どもだけでなく、明らかに家族全体が問題を抱えていることがある。他者に対して非常に攻撃的だったり、被害者の気持ちを想像したり、寄り添うことができなかったりする。
いじめの加害者の多くは、本人だけでなく、家族ぐるみの治療が必要なのだろうと思う。

ただ、ここでも問題なるは、依存症は「否認の病」だということ。
加害者の親も、本人も、自分たちには問題はないと確信している。自覚がない。薬物やギャンブルには生活苦があるので、それが「底つき体験」になり得る。しかし、いじめ・暴力の場合、本人にとっての「底つき体験」というのはあるのだろうか。
だとしたら、依存症になる前に手を打つしかないのではないか。心の傷の原因を明かにし、根本原因をなくす努力をすること。正しい治療方法を大人たちが提示すること。
おそらく、いじめの被害者だけでなく、加害者にとっても本人が安心して、自分が抱える痛みや怒りについて話せることが大切なのだと思う。

なお、講演後の他の団体の方の話から、同じ境遇の人たち同士が助け合えるような仕組みを作りたいと思って活動してきたが、活動するなかで、問題を抱える人たちが、もっと仲間になれると思っていたら、そうではない現実にぶち当たったということを聞いた。孤立したままのひとが多いという。
それは、人と人との絆、共同を奪っていった社会の影響が大きいのだと思う。
子ども時代から、少子化核家族で、濃密に触れ合う人間の数そのものが少ない。そのうえ、子どもが安心して遊べる空間のなさ、塾や習い事に時間を奪われ、子どもたちが子ども同士や地域の大人と触れ合う機会が圧倒的に少なくなった。
大人たちもまた、サラリーマンの増加で、他人は協力しあう相手ではなく、ライバル。かつて共同作業で成り立っていた農業でさえ、機械に頼り、孤独な作業になっている。みんながみんな、自分の利益ばかりにとらわれていては、他人とはつながれない。それが結果的に自分自身をも苦しめている。
そして、国の方針も、人と人が共同して支え合うことより、個人をバラバラにすることで、政治や企業方針に逆らわない、逆らえないようにする。あるいは競争させることで、個人の能力をを限界まで引き出そうとする。
結果、私たち社会は、本来、人間がもっていた共同して問題を解決する能力を失ってしまった。今や、制度に頼らなければ、自分たちの問題を解決することさえできない。

依存症は個人の問題ではなく、コミュニティの病。人間関係の不健全さが、いじめ・虐待・犯罪、様々な問題を引き起こしている。
 問題解決には、人と人とのつながりを取り戻していくしかないと思う。